シベリウスとニールセン 年表

二人の年表を『レコード芸術』2015年3月号の特集1「生誕150年 シベリウス、ニールセンとその時代」を元にまとめました。

シベリウス 年号(年齢) ニールセン

12月8日 ハメーンリンナで誕生

1865年0歳

6月9日 フュン島のノーレ・リュンデルセで誕生

最初の作曲の試み
ヴァイオリンとチェロのための『水滴』
1875年10歳
1879年14歳 オーデンセの軍楽隊に合格
ヴァイオリンの勉強をはじめる 1880年15歳
1884年19歳 コペンハーゲン音楽院入学
法律の勉強を辞め、音楽に専念 1886年21歳 音楽院卒業
チヴォリ・コンサートホール管の団員となる
ヘルシンキ音楽院の弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者になる 1887年22歳
1888年23歳 最初の交響曲の試み (『交響的狂詩曲』となる)
『小組曲』
同曲を指揮して指揮者デビュー
ベルリンでアルベルト・ベッカーに師事 1889年24歳 デンマーク王立管の第2ヴァイオリン奏者に
アイノ・ヤルネフェルトと婚約
ウィーン旅行
ニールセンと会う
1890年25歳 『小組曲』出版
ドイツ留学
ワーグナーの『指環』4部作など、多くのコンサートを見る
シベリウス、シンディング、ヨアヒムと会う
『交響曲第1番』に着手
『クレルヴォ交響曲』最初のスケッチ 1891年26歳 パリで彫刻家アンネ・マリー・ブローデルセンと知り合い、結婚
長女イルメリン誕生
『クレルヴォ交響曲』初演
『伝説』
アイノと結婚
音楽院で作曲の教師となる
1892年27歳 『交響曲第1番』完成
劇付随音楽『カレリア』
歌劇『船の建造』 (作曲を断念)
長女エヴァ誕生
1893年28歳 『交響的狂詩曲』初演
次女アンネ・マリー・フレデリッケ誕生
イタリアとバイロイトを訪問
次女ルート誕生
1894年29歳 『交響曲第1番』初演
作曲者自身も第2ヴァイオリンとして参加した
ベルリンでブゾーニやR.シュトラウス、ブラームスと会う
1895年30歳 長男ハンス・ベルゲ誕生
フィンランド政府から終身年金が贈られることになる 1897年32歳
三女キルスティ誕生 (1900年死去) 1898年33歳
『交響曲第1番』
『フィンランディア』
1899年34歳 奨学金を得てイタリアへ
カヤヌス指揮ヘルシンキ・フィルの欧州演奏旅行に指揮者として同行 1900年35歳
イタリアで『交響曲第2番』に着手
プラハでドヴォルザークとスークに会う
『伝説』改訂
この頃から耳の疾患に悩まされる
1901年36歳 歌劇『サウルとダヴィデ』完成
『交響曲第2番』着手
政府から年金支給開始
『交響曲第2番』初演 1902年37歳 『交響曲第2番』完成、初演
歌劇『サウルとダヴィデ』初演
『ヴァイオリン協奏曲』 (初稿)
劇音楽『クオレマ』完成
四女カタリーナ誕生
1903年38歳 オーケストラ楽員を辞める
ギリシャ・トルコ・イタリア旅行
序曲『ヘリオス』完成
ベルリン・フィルで『交響曲第2番』を指揮、酷評される
ヤルヴェンパーに移住
新居を「アイノラ」と命名
『交響曲第3番』着手
1904年39歳
ベルリンで『交響曲第2番』を指揮、『ヴァイオリン協奏曲』 (改訂版) 初演
最初の英国訪問
1905年40歳
交響詩『ポヒョラの娘』 1906年41歳 歌劇『仮面舞踏会』初演
以後20回上演される
『弦楽四重奏曲第4番』
『交響曲第3番』完成
ヘルシンキでマーラーに会う
1907年42歳
喉の腫瘍を除去する手術
ベルリン訪問
五女マルガレータ誕生
1908年43歳 王立劇場楽長に就任
『弦楽四重奏曲 親愛なる声』完成
ロンドンでドビュッシーとダンディに会う
1909年44歳
スウェーデンとバルト諸国演奏旅行
『交響曲第4番』完成、初演
秋、ベルリン、パリ訪問
ブルックナーを聴いて感激
六女ハイディ誕生
1911年46歳 『交響曲第3番』完成
『ヴァイオリン協奏曲』
ウィーン音楽院教授として招かれるが断る
英国で『交響曲第4番』を指揮
1912年47歳 『交響曲第3番』及び『ヴァイオリン協奏曲』初演
『ルオンノタール』初演 1913年48歳 シュトゥットガルト、ストックホルム、ヘルシンキ『交響曲第3番』を指揮
米国を訪問
交響詩『大洋の女神 (波の娘)』初演
1914年49歳 王立劇場楽長辞任
結婚生活に危機が訪れる
『交響曲第5番』 (初稿) 完成
50歳の祝賀演奏会で初演
1915年50歳 コペンハーゲン音楽院理事就任
『交響曲第5番』 (改訂版) 初演 1916年51歳 『交響曲第4番 不滅』初演
離婚手絵続きを開始
フィンランド独立宣言 1917年52歳 ピアノ曲『シャコンヌ』初演
フィンランド内戦
ヤルヴェンパーが赤軍に捜査される
ヘルシンキに移り戦争終結まで同地で過ごす
1918年53歳 『パンとシリンクス』
スケーエンに別荘を買う
次女アンネ・マリー・フレデリッケがハンガリーのヴァイオリン奏者エミル・テルマーニと結婚
『パンとシリンクス』を献呈して結婚を祝う
『交響曲第5番』 (最終稿) 1919年54歳 劇音楽『アラディン』
離婚許可が出る
1920年55歳 『交響曲第5番』の作曲を開始
最後のロンドン訪問
ブゾーニと再会
1921年56歳
1922年57歳 『交響曲第5番』初演
『管楽五重奏曲』
心臓発作
病気をきっかけに妻との関係が改善
『交響曲第6番』初演 1923年58歳
『交響曲第7番』完成 1924年59歳 『交響曲第6番』に着手
交響詩『タピオラ』 1925年60歳 コートダジュールでシェーンベルクと会う
60歳の誕生日が盛大に祝われる
ガラ・コンサートで自ら『交響曲第5番』などを指揮
『交響曲第6番』完成
劇音楽『テンペスト』 1926年61歳 『フルート協奏曲』完成 (翌年改訂)
1927年62歳 回想録『フュンでの少年時代』執筆
1928年63歳 『クラリネット協奏曲』作曲、初演
『3つのピアノ曲 作品59』
ヤルヴェンパーに隠棲 1929年64歳
1931年66歳 10月1日 コペンハーゲン王立音楽院長就任
10月3日死去
9月20日 ヤルヴェンパーで死去 1957年92歳