池野成について
1931年2月24日に札幌で生まれ、その後すぐに東京に移る。池野先生の父は司法官で、祖父はソテツとイチョウの精子を発見したことで有名な植物学者の池野成一郎。
旧制青山中学校で、作曲家で後に伊福部昭門下生になる今井重幸氏と出会う。
1950年4月東京音楽学校作曲科 (1953年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、池内友次郎氏、伊福部昭氏に師事。1953年に伊福部昭氏が退任したのに伴い東京藝術大学を中退。在学中の1952年に『序奏と交響的アレグロ』が第21回音楽コンクール (現・日本音楽コンクール) 管弦楽曲部門の第2位に入選し、山田和男 (一雄) 指揮、NHK交響楽団により初演される。
1956年、吉村公三郎監督の『嫁ぐ日』の音楽を担当したのを皮切りに、福田純監督の『電送人間』 (1960年)、川島雄三監督の『雁の寺』 (1962年)、山本薩夫監督の『白い巨塔』 (1966年)、黒田義之監督の『妖怪大戦争』 (1968年) など、数多くの映画音楽を手がける。
また、東京音楽大学、東京藝術大学において、作曲及び管弦楽法の講師を務め後進の育成に力を注いだ。東京音楽大学では、東京音楽大学付属民族音楽研究所において所長の伊福部先生の下で研究員として勤務した。
1997年に東京音楽大学を退職し、その後スペインに移住。1997年に遺作となる『Divertimento』をスペインで作曲。
2004年に帰国。8月13日、東京にて逝去。