明清楽関連年表
『長崎談叢』第89輯 p.21より
(渡辺1930、長崎史談会1931、中村1940、1942、長崎区役所1938、内田1949、中西・塚原1990を整理)
西暦 | 年号 | 出来事 |
1571年 | 元亀2年 | 長崎開港。初期の華僑来日。 |
1596~1611年 | (慶長年間) | 華僑の来日増加。明笛や胡弓の演奏がみられる。 |
1666年 | 寛文6年 | 福建省の富豪・魏之琰(ぎ・しえん)が長崎へ渡来。 |
1673年 | 延宝元年 | 魏之琰が日本に帰化して鉅鹿(おうが)姓となる。魏之琰は明楽にすぐれ、上京して内裏に召され明楽を奏した。 |
1677年 | 延宝5年 | 唐僧・心越が渡来。七弦琴(古琴)を伝える。 |
1689年 | 元禄2年 | 魏之琰が没する。長崎唐人屋敷設立。 |
1710年 | 宝永7年 | 琉球使節来朝。琉球音楽と共に明清楽演奏。唐歌や唐音など一般流行する。長崎の岡島冠山『唐音和解』などを著す。 |
1738年 | 元文3年 | 心越の弟子小野田東川など吉宗の前にて明朝宮廷音楽を披露する。荻生徂来が心越と交わる。『琴楽大意抄』を著す |
1764~1773年 | (明和年間) | 魏之琰の曾孫の魏皓(ぎ・こう)が上洛。明楽を教える。 |
1772年 | 明和8年 | 東本願寺法王が魏皓を招き、苑池の船上で明楽を演奏させる。 |
1775年 | 安永3年 | 魏皓が没する。正統の明楽は衰えを見せる。 |
1817年 | 文化14年 | 姫路候邸で「酔起言志」「宮中楽」など明楽を明服を着た藩士達で演奏された |
1817~1830年 | (文化文政年間) | 「九連環」はかんかん踊を伴う長崎より東上、大流行となる。長崎に清楽起こる。 |
1830~1844年 | (天保年間) | 福建省の林徳建来朝。清楽を伝える。 |
1854年 | 安政元年 | 平井連山、妹の長原梅園と共に大阪へ移る。清楽普及につとめ、関西に連山派確立。 |
1866年 | 慶応2年 | 坂本龍馬妻おりょう長崎で清楽を学ぶ。 |
1870年 | 明治3年 | 鏑木渓庵麹町栄田町にて辻斬りあい死す |
1873年 | 明治6年 | ロシア、アレキセイ親王殿下来朝、有栖川宮御殿にて小曾根一門清楽演奏 |
1876~1878年 | 明治9~11年 | 丸山の花町で清楽合奏が盛んであった。 |
1877年 | 明治10年 | 有栖川宮殿下来崎、藤屋にて幹堂、星海、キク子など清楽演奏 |
1879年 | 明治12年 | 長崎博覧会余興に寄合町随陽亭の遊女たち清楽演奏、平井連山は大阪にとどまり長原梅園は東京に帰る。連山派、梅園派として東西に競う。 |
1886年 | 明治19年 | 平井連山大阪で没、2代目平井連山つぐ |
1894年 | 明治27年 | 日清戦争勃発。 |
1898年 | 明治31年 | 長原梅園逝く(76)息子春田つぐ。春田に「新撰明笛和楽独習のしおり」あり。 |
1923年 | 大正12年 | 「復興節」が流行する。これは「砂窓」の替歌。 |
1930年 | 昭和5年 | 熊本放送局にて町検芸妓による清楽合奏。 |
1977年 | 昭和52年 | 明清楽が東京国立劇場で演奏。 |
1978年 | 昭和53年 | 明清楽が長崎無形文化財に指定される。(保持団体:長崎明清楽保存会) |
1994年 | 平成6年 | 明清楽の演奏グループ「龍楽団」が設立。(その後解散) |