初期卒業生の活躍

東洋音楽学校 初期卒業生の活躍 ~船の楽士とハタノ・オーケストラ~
 鈴木米次郎 (1868-1940) が創立した、東洋音楽学校 (東京音楽大学の前身) の初期卒業生の中から、船の楽士やオーケストラの団員として活躍した卒業生の業績を展示しました。

開催期間: 2014年1月24日 (金) 〜 2014年6月14日 (土)

初期卒業生ポスター
船の楽士
 鈴木米次郎は、卒業生の進路にも心を配りました。音楽の教師として活躍する道と同時に、演奏で社会に貢献する人材を育てるためには楽士としての職場を開拓することも必要と考え、東洋汽船と契約し、北太平洋航路に卒業生が楽士として乗り組む道を拓きました。
 学校の推薦を受けた卒業生は、ヴァイオリン・チェロ・クラリネット・トランペット・ピアノの五重奏で船に乗り組み、往復1ヶ月半を要するサンフランシスコ航路で様々な楽曲を演奏しました。船酔いや暴風雨に苦しみながら、柔軟な編曲・即興・初見能力を要求される船の楽士の仕事は、東洋音楽学校を卒業したばかりの者たちにとって相当過酷な経験だったものと思われます。しかしこのような厳しい実地訓練に鍛えられて、船の楽士から陸に上がった卒業生たちは、その後その経験を生かし演奏活動をしていくこととなります。

卒業生の活躍
 第2回卒業生の波多野福太郎は、船の楽士として経験を積んだのち、弟の波多野鑅次郎 (こうじろう) とともにハタノ・オーケストラを結成し、銀座の金春 (こんぱる) 館 (活動写真館)、鶴見の花月園、神田の東洋キネマ、帝国ホテル等で演奏しました。当時、ハタノ・オーケストラが出演する金春館は音楽のレベルが高いことで知られ、特に映画の上映前に演奏された「金春マーチ」 (第2回卒業生の奥山貞吉作曲) は活動写真 (=無声映画) ファンに愛され、多くの人々の記憶に残り、昭和57年に楽譜が再発見されて復活演奏されるに至っています。
 ハタノ・オーケストラに出入りしていたメンバーの多くは、その後大正末期に日本交響楽協会・新交響楽団 (現・NHK交響楽団) が結成された時に主要メンバーとして入団し、本格的オーケストラの初代団員として活躍しました。またハタノ・オーケストラのメンバーの一部はその後本格的にジャズの演奏を始め、日本におけるジャズの先駆者として知られています。

<主な展示品>

  • 大正4年 第6回卒業証書 (コピー)
  • 金春マーチ パート譜 (大正8年頃)
  •  活動写真館・金春館のオープニングで演奏され、好評を博した。
  • 春洋丸のプログラム
  •  ディナー用のプログラムは毎日船内で印刷された。
  • Sam Fox 楽譜
  •  この楽譜を基に五重奏に編曲して船内で演奏した。
  • オリエンタルダンス (SP盤)
  •  波多野鑅次郎指揮 ハタノオーケストラ團

<参考文献>
音楽教育の礎 : 鈴木米次郎と東洋音楽学校 / 武石みどり監修 : 東京音楽大学創立百周年記念誌刊行委員会編 (東京 : 春秋社 , 2007.5 ) 請求番号:M2.8/Su991 (3階開架)