1. 神のダンス

1-1 『マタイ受難曲』BWV 244より 第1曲「来たれ、娘らよ、われとともに嘆け」 ジグのテンポで ―ダンスとそのステップ講解―

神のダンス

 バッハの組曲はテキスト講解の対象からは外れる。しかし組曲という形に纏められたバロックのダンスについては、短い言が必要とされるであろう。とりわけてバッハの組曲はダンスに用いられて踊りの背後に響きながら、その本質において昇華されたダンスの哲学、ダンスの神学を語り伝えるからである。その要点を拾えば以下のようになるであろうか。
 バロックのダンスは突然にフランス宮廷で生み出されたものではない。
恐らくあらゆる民族の宗教儀礼にダンスは欠かせない。しかし、これはあらゆる民族の宗教儀礼に音楽が不可欠であるのと同一の神と人との関わりにおける一現象であって、その一事に従ってバッハの組曲を測れるわけではない。
 ダンスは既に古代ギリシアにおいて、哲学と宇宙論の交錯する思索の中で捉えられていた。その意味でダンスは宇宙の調和を人の身体によって視覚化するものであった。視覚化されたものの中に、視覚化されるべきものを強く響かせたのがバッハの組曲である。バッハの組曲は実際のダンスの用に供され得る、にも拘わらず、通例は独立した器楽曲として奏される。それによってダンス化されるべきものを、ダンスに優って明確に表現し得ると判断されるからである。
 ヨーロッパの基礎構造を形成して決定的であったのはキリスト教であった。厳格な教会の規律はダンスを好まない、と思われるのが一般的思考であろう。キリスト教の基体である聖書の中に、しかしダンスは二つの領域に亘って記されている。ひとつは人のダンス。いまひとつは天空の、宇宙のダンス。何れもその目的とするのは改める迄もない、神讃美である。
 古代ギリシアの哲学と宇宙論は、イタリアのルネサンスにおいて再認識され、キリスト教の宇宙創造論とも重なり一体化されて、宇宙の法則が人体の動く美の中に表されることになった。人の身体は宇宙を映し出す小さなコスモス=ミクロ・コスモスであり、踊ってダンスはときに宇宙の星辰の軌道を地上に描き、また別のときには星辰の働きを受けて踊る人の魂の軌跡を他者に伝えた。パートナーと組んで踊って、ふたりの身体は、その魂は、二つの星辰の軌道の干渉し合う様を示してしばしば占星術の領域に立つことになった。
 王を太陽とする譬え ― 本来ヨーロッパにはふたりの太陽の王が存在した。今日では一方の王の光が余りに強く輝いて他を圧している。ルイ十四世はヴェルサイユに在り、キリストは天空に座している。聖書に言う義の太陽、不滅の太陽、キリスト。バッハの組曲には太陽の、ふたりの王がその中心点をなして在り、当然の帰結として、バロック芸術を特質づける二つの中心点を持つ楕円軌道を描いている。
 ヴェルサイユの宮廷の一室で太陽を中央に戴いて人は宇宙のダンスに、ひととき興じて人の世からの超出に酔い痴れた ― もしも、リュリとバッハが存在しなかったならば、バロックのダンスは今日に存在しなかったであろう。バロックのダンスに人は自らの身体を委ねて在ることの喜びに触れ、また魂の愉悦に酔って踊る歩を刻む。その人々の、足取りを超えて存在のダンスに誘う、響く宇宙の楕円軌道の中心点に屹立する二つの美の高峰こそが、リュリとバッハだからである。

 チェロの組曲は プレリュード ― アルマンド ― クーラント ― サラバンド ― ガヴォットI・ガヴォットII ― ジグ の構成になる。
 全体の第四の位置に置かれた「サラバンド」は『ロ短調ミサ』の“et incarnatus est”のヴァリアントの形態を示し、万有を治めるキリストの受肉と、宇宙を形成する四元素及び十字架に視覚化される宇宙の四方を象徴する「四」を響かせている。この組曲の調性を成すハ短調は『マタイ』と『ヨハネ』の二つの受難物語に共通してキリスト・イエスの埋葬を悼む調性である。

 チェンバロによる「フランス組曲」の構成 アルマンド ― クーラント ― サラバンド ― ガヴォット ― メヌエット・トリオ・メヌエット ― ジグ
 この組曲にも“et incarnatus est”の問題とキリストの受難を歌うコラール“ O Haupt voll Blut und Wunden”の内在が認められる。調性のロ短調はバッハの作品において、しばしば「十字架の調性」と呼ばれる『ロ短調ミサ』の調性である。

 参考までに、チェロ組曲におけるサラバンド = et incarnatus est が容易に把握され得るのに対して、さして容易ではないチェンバロの組曲におけるこの関連性の一部を、添付の譜例として提示しておくのが便利であろうかと思われる (譜例 1)。

譜例1

 ふたりの演奏者によってそれぞれに選択された二つの組曲に同一の事柄の告知が響くことになったのは偶然とは言い難い現象であろう。加えて、ペルゴレージの “Salve Regina” と『ヨハネ』は、これも同一の表現法・音型figura に立つ作であるといい得ることからして、十字架の表現における共通語法の問題はひとりバッハの創作世界に限定されることなく、広く中世以来のヨーロッパという世界に根付いた普遍的問題を担う技arsとして捉えられるべきものであると言わねばなるまい。
 また更に、バロック期に活用された上記の figura という観点からしても、バッハの創作の世界において、共通のfiguraに依据するその創作法からして、器楽曲と声楽曲との、いわゆる世俗音楽と教会音楽との間の、本質的相違点は存在しないと判断されるのであって、これは例えば教会の典礼に用いられる公的典礼文書と、個人が私的に捧げる祈りの際に用いられる私家版の祈祷書との関係に対応するものであると言うのが正しいであろう。

 バロック期に踊られたダンスは改めるまでもなく宮廷ダンスである。とは言え、これは単なる宮廷の娯楽ではなく、既述のように宇宙・世界観の表彰であった。今後に、更に掘り下げられて論じられることになるであろう、ここに言う、宮廷ダンスをコスモスという、宇宙論・世界秩序に関する問題領域から捉える作業に関しては、これを巡る文献が近年相次いで出版されていることもその必要性を裏付けている。
例えば、次の著作を参照:Hendrik Schulze, Französischer Tanz und Tanzmusik in Europa zur Zeit Ludwigs XIV. : Identität, Kosmologie und Ritual, Bd. 7, Terpsichore : Tanzhistorische Studien, Herausgegeben von Walter Salmen für das Deutsche Tanzarchiv Köln (Hildesheim・Zürich・New York: Georg Olms, 2012) 東京音楽大学付属図書館の請求番号[M3.62/Sch85//洋]

 「マタイ」を踊る ― ダンスと宗教儀礼との結びつきは単に歴史・民族の違いを超えて見い出されるものではなく、この両者の根をなすその本質的同一性に起因すると言わねばならないであろう。神讃美・神聖なものと人との対峙の際の想念は凝縮されて典礼の形態の中に、また同時に、人間の存在の根源から湧き上がる讃美・感謝のリズムに衝き動かされる身体の動き、即ちダンスによって表明されるからである。
 この関連はキリスト教においても明白であり、聖書の中に言葉によって踊られ表明される神讃美は記されている ― バッハが属したルター派教会において用いられたルター版ドイツ語聖書の中で、ヘブライ語・ラテン語から訳されてこの踊りは輪舞 Reigentanz というドイツ語で表されている。この事実がバッハの創作の、あるいは「マタイ」という個的作品の背後に存在することは改めるまでもない。これもバッハにおける事実であって、バッハの筆になる楽譜それ自体がこのことを表明している。
 「マタイ」の第1曲は8分の12というダンスの音楽として記されている、とは言えそのダンスのリズムをどのようなダンスとして判読するのか。そこに問題が存在しないわけではない。クリスマスのシチリアーノとするのか、あるいは牧歌としてのパストラーレと読むのか ― 判断の根拠は以下の点に求められるであろう。
 シチリアーノであれパストラーレであれ、キリストを巡るダンスの音楽であることに変わりはない。従って「マタイ」第1曲のダンスの性格を規定し得るのは「マタイ」において、更には「マタイ」と深く結びついた「ヨハネ」においてバッハが捉え表明したキリスト論であって、それ以外のものではない。今回のダンスは、神学文庫の連続講義の中で追求されているバッハの思い描いたキリスト論に立って決定された。受難曲というキリストの十字架の物語りを音楽化するに際して、バッハはキリスト教神学の中心点に立ったと判断される ― 十字架のキリストを扱いながら、地上に在って十字架を担ったキリストの、本来在って在るべき姿を作品の背後に響かせ問うたのがバッハのキリスト論であり、それは常に十字架の死を超えて天上に在る栄光のキリストに関わるものであった。言い代えれば、ヨハネ黙示録第4章に記された天上の主、栄光のキリストを表す「神の小羊」 Agnus Dei に関する神学的思索が音楽となって響いたのがバッハの作品であるということになるであろう。受難曲は、そのAgnus Deiが地上に在って十字架を受けられた出来事を描くものであって、天上の Agnus Dei と無関係に在り得るものではない。今回の「マタイ」のダンスは、この、地上において十字架を担われた栄光の主Agnus Deiに捧げる讃美の念を基にまとめられた。テンポは、壮麗な天の王を飾るに相応しいものでなければならない。くり返して言えば、ダンスは単なる身体上の美を誇示するものではなく、宇宙の秩序と、その秩序の基である宇宙の創造者についての思索を表明すべきものである。恐らく規定して言うならば、今回の「マタイ」のダンスは栄光に包まれる Agnus Dei と、崇高なるものへと高まり行く讚美を歌ってジグと名付けられるであろうか。
 なお「マタイ」第1曲を始めとするバッハ作品とギリシア悲劇におけるコロスとの関係、聖書における Reigentanz 等の問題に関しては、丸山桂介『バッハ「聖なるもの」の創造』 (春秋社、2011年) 東京音楽大学付属図書館の請求番号[M2.8/B122-119] を参照。

 マタイ・第1曲のテンポ変更に関するメモ ー 今回のゼミコンサートで用いられた実験用の演奏の成立は以下の視点に基づく。1) 今日一般に行われているバッハ作品の演奏テンポの是非を問うために、図書館ゼミ・マタイ連続講義 I の際に第1曲のテンポ変更を実験的に行った。変更は電子音楽作曲家の馬場隆君に依頼。数種のテンポ変更をコンピュータで施し、バッハ・テンポに相応しいと判断される事例が採られることになった。2) バッハの自筆譜に記された通りに、第1曲のコラールは、これもコンピュータの操作によって、オルガンで奏される形が採られた。Johann Sebastian Bach ; commentary by Christoph Wolff, Martina Rebmann ; preface by Barbara Schneider-Kempf, Matthäus-Passion BWV 244 : Autograph, Staatsbibliothek zu Berlin Preussischer Kulturbesitz (Kassel : Bärenreiter , c2013) 東京音楽大学付属図書館の請求番号[M0.8/D659/2-47//洋]
 講義のための実験演奏で明確化された、第1曲の舞曲の性格をより明瞭に提示するべく、これにバロック・ダンスの振りを付けて視覚化の試みが今回のゼミ・コンサートで行われることになった。振り付けと実際のダンスはチェンバロ演奏・表現法とバロック・ダンスを長く研鑽されている臼井先生に依頼。ここに公開されることになった。単なる身体の動きの追求ではなく、既に「神のダンス」として記述されたように、神聖宇宙の秩序の視覚化としてのダンスによって、バッハが『マタイ』で、或いは他の諸作において追求した宇宙のハルモニアと、聖なる創造への讚美・感謝の念は空間化されてひとつの形象として提示され得たと判断される。
 実験のために労を惜しまず協力して頂いた臼井・馬場の両君には感謝の一語が相応しいであろう。

(記・丸山桂介)

マタイ受難曲第1曲のテンポ変更

 サンプルにはヘレヴェッヘ盤※1とメンゲルベルク盤※2を用い、舞曲(ジグ)らしさを出すためにテンポを速めることとした。フェーズ・ボコーダーの技術を用いてタイムストレッチ(テンポ変更)処理を実施し、最終的には丸山桂介先生と協議のうえサンプル波形を61%に圧縮した。これはテンポに換算するとサンプルの1.64倍に相当する。

マタイ受難曲第1曲のコラールパートへのオルガン音の付与

 マタイ受難曲第1曲のバッハの自筆譜ファクシミリでは、オルガンで演奏されるべく記されたコラール旋律のみ赤インクで書かれてこのパートの重要性を物語っている。今日の実際の演奏では、通例用いられる新バッハ全集のスコアに従ってこのパートは少年合唱が担当することになっているのに対して、本コンサートでは実験的にオルガンが担当する。オルガンの音にはスペインの水平トランペット管の音色が適しているが、実録は困難であるためMIDI※3方式を採用し、Vienna Symphonic Library※4のVienna Konzerthaus Organ音源の中から”Clarino 4’”と“Clairon harmonique 4’”の音色を音量比5.4[dB] : 3.8[dB]の割合で混ぜることでスペイン水平管の音色を再現した。また元のコラールの歌詞の音節に基づく長短(− ∪)を、オルガン演奏においても反映させるべく、短音節直後の音符はやや前のめり気味になるよう各音符の発音位置を調節した。このように作成したオルガンパートと、テンポ変更したサンプルを、音量比-2.5[dB] : 1.1[dB] (ヘレヴェッヘ盤)、-1.8[dB] : 0[dB] (メンゲルベルク盤)で混ぜ合わせた。

  • ※1. La Chapelle Royale, Collegium Vocale Gent, Philippe Herreweghe, 1984 (Harmonia Mundi: HMX2901155) 東京音楽大学付属図書館の請求番号:A1938またはA2950
  • ※2. Concertgebouw Orchestra, Amsterdam Toonkunst Choir, Willem Mengelberg, 1939 (Naxos Historical: 8.110880-2) 東京音楽大学付属図書館の請求番号:A2941 (ただし抜粋)
  • ※3. Musical Instrument Digital Interface = 電子楽器の演奏データを機器間でデジタル転送するための規格
  • ※4. https://www.vsl.co.at/

(記・馬場隆)

マタイ受難曲第1曲目『Chorus』のバロックダンス振付に関して

 この曲の既存のテンポは、パヴァーヌではないか。恩師フランソワーズ・ドニオとパリで話したことがある。バロックダンサーにとって、一定リズムを持つ曲は全てがダンスとして捉え得るということだった。この話から数年経った今年、マタイ受難曲第1曲目の『Chorus』をダンスとして振り付けてみようという企画がなされた時に、私は師との会話を思い出したのである。前述の「パヴァーヌ」はルネサンス時代のダンスであり、それは「歩く」ことを基本とした、振付に多様性の乏しいダンスであるため、かつバッハの表現意図の観点からして、テンポを速めてバロックダンスとして捉えることにした。バロックダンスの舞曲の中では速い踊りに相当する「ジグ」のテンポに変更された(変更操作は馬場隆氏記述参照)。フランス風ジグのダンスのリズムとして、8分の12拍子であるこの拍子を2分割し、譜例2の音型Aを音型Bでユニットを捉えた。18世紀のボーシャン・フィエシステムのバロックダンスの振付表に従って振付し、振付の組み合わせはバロック時代当時の振付家フィエやペクールの舞曲振付を参考にしながら独自に自由に組み合わせた。ステップのフィギュール (軌跡 = 図1参照) は当時のバロックダンス曲によくみられる曲線と垂直及び水平線を交えながら音楽の盛り上がりと一致するよう考えられた。

譜例2. 8分の12拍子のユニット化

図1. ステップのフィギュール (軌跡)

(記・臼井雅美)